実家のお墓に、一つだけ立派な自然石のお墓があります。日露戦争で亡くなられた、ひいじいさんのおにいさんだそうで、明治37年6月14日とありました。
亡くなられたひにちしかわからなかったですが、ネットで検索してみたところ、どうやら「得利寺の戦い」というので亡くなられたようです。
ひいじいさんのおにいさんは日本第2軍に所属していたようです。
第2軍が明治37年5月5日遼東半島に上陸を開始し、15日、金州城・南山方面へ前進を開始する。25日朝5時半、金州城および南山への砲撃を開始。翌26日朝5時半頃金州城の城門爆破に成功し金州城を占領。26日朝9時頃歩兵部隊による南山陣地への突撃攻撃。同日午後7時頃南山のロシア軍が退却を始め、7時半頃南山陣地を占領。
6月6日ロシア軍が旅順救援のため、軍の一部に南下を命じる。
6月9日大本営が第2軍に対し、北進を要請。13日午前3時得利寺方面を目指し北上を開始。翌14日得利寺付近に布陣するロシア軍と交戦。
ひいじいさんのおにいさんは得利寺の戦いにおける日本軍戦死者217名のうちの一人と思われます。
得利寺においてロシア軍を撃破した日本第二軍は遼東半島を北上し、朝鮮半島から北上した第一軍、新たに編成された第四軍と共に遼陽に向けて進撃し、1904年8月、遼陽において日露両軍が激突することになります。
戦争はもちろんあってはならない、起こしてはならないものです。しかしそのようにして守ってもらったということは忘れてはいけないのではないかと思います。
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